1997ひなたの反省
1997ひなたの反省

ひなたは割と影響を受けやすいタイプである。

昔「さびしんぼう」と言う映画で、一生懸命ピアノの練習をする富田靖子ちゃんを見て、わたしもショパンの別れの曲を弾いてみたいと思った。ピアノなんて弾いたことがいひなたであった。しかし楽譜を買い込み、こっそりだんなの電子ピアノで練習をすること2カ月、何とか最初の2ページのメインのところが弾けるようになったのである。

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3年前「もみの木の下で」と言うCD−ROMを作った。

お話のBGMは全て生の弦楽四重奏、俗に言う「カルテット」という贅沢なものであった。その時のチェロの音色の素晴らしいことと言ったら・・・。ひなたはチェロを弾いてみたくなったのである。

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その時、さすがにだんなが止めた。楽器が高いのもさることながら、弦楽器はとても素人の手に負えるものでは無いと言うのである。それでも諦めきれずにいたひなたは、苦節3年、1997年6月に念願のチェロを手に入れたのだある。
「しーらね、そのうち大型ごみになるんじゃないか?」とだんなの冷たい視線をよそに、ひなたは舞い上がっていた。「見てなさい。ローンが払い終わる頃にはサンサーンスの白鳥が弾けるはずよ」と自信たっぷりであった。

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が、チェロは甘くなかった。まず譜面が読めない。ひなたは「マリンバ」と言う楽器を10年程習っていたが、「マリンバ」には「へ音記号」は無かったのである。盲点だった。ひなたは掟破りの、譜面に「カナ」をつける手を使った。
これで譜面は読めるようになった。だがどうやって弾けばよいのか、弓の持ち方すら分からない。やはり独学では無理であったか・・・。ここへ来て初めてレッスンを受ける決意をしたのである。

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幸いとても良い感じの先生が見つかった。

しかし、チェロの音はかなりでかい。ひなたの練習時間は、隣の奥さんがパートに出かける朝9時から、だんなが起きる9時半の間の30分だけであった。防音設備の部屋か、山奥の一軒家でなければ、夜の練習はとても出来ない。
レッスンの方も、仕事の合間を見て行こうとするが、何だかんだで月一回も通えない状態であった。

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さらに、秋に先生の留学が決まって暫く外国へ行かれることになったのである。「仕事がこちらにも残っているので、月に一度は帰国しますから、その時にレッスンしましょうね」と、おっしゃって下さったのだが、先生の予定とひなたの予定がなかなか合わない。

チェロを買って6カ月。通ったレッスンは3回。チェロを構えるところまでは、出来るようになったひなたであった。

白鳥への道のりは遠い。